

イベントの様子や活動の経過などを報告していきます。

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本島笠島地区へのご来場ありがとうございました。
いただいたコメント追加
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先日は、本島案内、どうもありがとうございました。
天候にも恵まれ、大変快適な時を過ごすことができました。
船の時刻表を見る限りでは、今回の行程で時間的には十分だろうと考えていましたが、島にいるともう少し居ても良いかなという気分になったものです。
船で30分程度という時間も良い。島で暮らす人たちにとっては、日常の足なのかもしれませんが、こちらはどこか異界に行くような気分になる。訪問者にとっては、丸亀港からイベントが始まっているようなものです。
おそらく、観光でも民俗調査でもなく本島を訪れることはほとんどないでしょう。しかし、だから感じることのできる様々な音があり、民俗資料的価値とは別に町並みの魅力を感じることもできるのではないでしょうか。
展示自体は、保存地区の建造物であるが故の制約の中で、彼らの作品は建築物の持ち味を損なうこともありませんでしたし、作品自体も地域や展示空間と誠実に向き合っていたと思います。特に、裏口から入ったことで、展覧会の導入が中屋敷作品になった訳ですが、あの作品が非常にあの場所となじんでいたことの印象が強かったのかもしれません。今回の出品作品の中で場所に対して最も異なる質感を持っていただけに、この作品の存在が展示空間のアクセントにもなっていたと思います。
その上で、イベントの詳細まではわからず、いわゆる現代展と捉える来島者を考えれば、やはり作品の点数があった方が良い。真木邸には制約があるみたいなので、他の場所、あるいは屋外展示なども考えられると思います。もちろん、そのためにはアテンドするスタッフを増やす必要もありますが。
もっとも、私自身はこれまで書いてきたように、丸亀港から始まり、島の様々な要素を含めて一つにイベントと捉えることができたので、作品数のことはほとんど気になりませんでした。それは、事前に福永さんの日記を読んでいたことや梅谷さんからこの企画の話を聞いていたことも一因でしょう。また、福永さんの日記も訪問後に読み返すとまた違った面白さを感じます。単純に写真に写る空に色の違いなども含めて、場所にディテールがイメージできることも大きいですし。
また、個人的には、参加した作家たちやそれぞれ来島者がどのようにこのイベントを受け止めていたのかも興味深いものです。
そこで、来年のことです。私が野村誠を思い浮かべたのは、次のような理由からです。
このイベントが島の人たちにも何か残すことを考えたものであること。
島の人々が伝承の盆踊りの歌を持っていること。また、島自体の音が魅力的なこと。
過疎の島であり、対象は高齢者か小中学生になること。こうした層を取り込んで表現活動に結びつけられるアーチストであること。
野村の活動は彼自身のホームページでもブログで語られていますし、ここから最近の取手アートプロジェクトや来年宮城県のえずこホールで開催されるイベントのページも見られます。
また、彼の著作『老人ホームに音楽がひびく−作曲家になったお年寄り』(晶文社)も参考になるのではないかと思います。 (美術館学芸員)
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2007年へ向けて |
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2007年3月9日 東京丸の内文化庁にて報告会を実施します。
・SAWに新しいメンバーが加わります。
登尾紘子さん(高松・香川/プシプシーナ珈琲)、小林陽介くん(岐阜在住・木彫)
・これからの活動キーワード=地産地消(地域生産地域消費)
《募集》
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NPO笠島まちなみ保存会運営の《民宿事業》 参加募集。
・笠島地区でカフェ運営 参加募集。
・地元の有機野菜や海産物のおみやげづくり 参加募集。
・民宿事業Webサイト運営スタッフ募集。
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本島笠島地区へのご来場ありがとうございました。
いただいたコメント |
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○本島・笠島地区に初めて来ました。
こんな素敵な場所が近くにあったなんて知りませんでした。
同じ香川県人として誇りに思います。
全国の人に広く知って欲しいスポットです。
ありがとうございました。
○とても雰囲気が独特で
ゆったりとした時間が
流れてゆく感じでよかったです。
○今日はとてもよい気分を味わうことができました。
ありがとうございます。
・それぞれの作品が個性を出しつつ、
本島というテーマの共通性でつながっている独特の空気が
とても心地よかったです。来て良かった。
○継続して欲しい。
○直島の活動と比較されるだろうが、こちらのほうが初年度ということもあってか
より丁寧なつくりで いいじゃないか。
○今年度中に企画策定、事業開始というハードスケジュールの中で、展覧会までの時間がない中、無理だろうと思っていたが、どの作品もとてもいい。
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本島へこなかった方からのコメント
貴重なご意見ありがとうございます |
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○例として直島の家プロジェクトのように、笠島地区全体を使用することは出来なかったか?(美術関係者)
A はい、確かに笠島地区は、伝統的建造物保存地区群として塩飽水軍の本拠地の港町として歴史を伝える地区ですが、残念なことに空家は皆無なのです。住んでいない家が多いのですが、島から離れて生活していても、お盆やふれあい祭りなど島の行事には必ず里帰りをする。これも笠島の特長ですね。レジデンスやワークショップを通じて、交流が生まれ、短期間にも関わらず、島の人々が「もう帰るんか?」「こんどはいつ来るの?」と待っていてくれるのです。気持ちが通じ合えたので来年以降はもっと別の展開ができるように思います。
○ 関西のアート関係者
・こういう種類のプロジェクトは多いけど
つまらないものが多い、せっかく行ってもがっかりすることが多くてね。
(美術関係者)
A 正直なご意見ですが、こういうプロジェクトや場所の空気感は、
共有する体験を通してしか得られないものが多いので、がっかりすることがあるかもしれませんが、出かけないと得ることは出来ないものですね。ぜひ体験したいと動機づけられなかった活動内容・告知広報について参考意見とさせていただきます。
このようなアートプロジェクトは、本来共有不可能で再現不可能なもので、時間と場を共有することによって新しい経験が得られることに醍醐味があると思っています。
出版物制作の際はそこが課題だと考えています。
○丁寧な作業を続けられたと思うが、初年度の場合、
もっと活動を翌年につなげられる作家をレジデンスの部分で選定しても
よかったのでは?
・関西では知られている作家だが、見えにくかったのが残念、比較されるから余計に慎重な作家選定が出来ればよかったのにね。
A そうでもあり、そうでもなく
。福永さんだから出来たことって大きかったと思います。私たちは鏡のように笠島の人々を映し出す立場に徹しました。それでいながらそれぞれの個性を反映する鏡であり、今回の展覧会作品が生まれました。豊かな島の人々との交流でした。
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11月28日
笠島で展示が始まって初めて作品を見る。どのような空間になっているのか、どのような作品が展示されているのか、わくわくしながら真木邸へ急ぐ。
真木邸で作品を見ているとタカシマさんがお見えになり、いつものようにはじめてのあいさつをされる。展示は空間と作品が上手く合っており、そこに初めから存在していたような感じだった。
しばらくすると、「ふれあい祭りのとき、じっくり見れなかったから〜」とモリナカ商店のモリナカさんが見に来られる。笠島の映像を「○○さんやがな〜」「雰囲気ちがうなぁ」などと言いながらうれしそうに見ている。福永さんの作品を読み、「(島に住んでいるから)とってもよく分かる。想像がつく。」と地元の人ならではの感想をおっしゃっていた。
保存センターのセオさんは、陶器の破片を集めて作った茶碗をほんとに破片を集めて作ったの?元々、このような茶碗だったのでは?と疑っていた。それをまきさんと2人で説明。納得してからは、「上手いことつくっとるなぁ。」などとおっしゃっていた。
お昼になったので、うどんをいただこうとうどん屋さんへ行くが定休日。その前に行ったときは売り切れ。なんとも運が無いのか、タイミングが悪いのか、いつもここのうどんが食べられない。モリナガ商店でカップうどんを購入、ふれあいセンターでお湯を貰う。初めて島に来たときよりも島の人が親切にしてくれるように感じる。
15時に来るという団体旅行客を待つ。保存センターの前では、タカシマさん家で出来た柿が袋に入れられ、リヤカーの上に並べられて買われることを待っている。添乗員の案内と共に、旅行客が来た。「こちらもどうぞ。無料ですよ。」と勧めると、どっと2、30人が入ってきた。しかし、作品よりも船やうちの造りをみて出て行く人がほとんど。なんとかひとり捕まえ説明するも、聞いているのか聞いていないのか、全く関係の無い質問をされて終わる。少し疲労感を覚えつつ座っていると、数人の方が「時間は無いけど、せっかくだから〜」と見に来てくれた。だれも来てくれないよりも来てくれたぶんよかったとしよう。
今日島へ行って、取材していたときよりも島の人との距離もぐっと近く、親近感が出てきたように感じた。また、島の人が作品を見て喜んでくれてほっとした。島の方も、形になったことで安心された部分もあったように感じた。
うちに帰って食べたタカシマさんにいただいた柿はとてもおいしかった。
真木邸本日来場者:島の方5名、旅行客約30名
(白川加奈子)
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11月23日(木)
笠島地区の主催事業「笠島ふれあい祭り」展覧会オープニング・イベントを実施。
作品展覧会
裏庭でのライブ演奏やSAWによる一日だけのカフェ
人でにぎわい、建物には人の声と熱気が満ちた一日となった。
写真を本島小・中学校の子供たちや先生方の参加により、音の発表会を実施した。
23日の来場者 320人
左は当日尾上神社の様子と旧真木邸での小・中学生とのイベントの様子です。
「記憶の集積を創造の海へ」展が本島笠島地区で始まりました。今回の事業の招聘アーティストである福永信の手作り本を始め、参加アーティストの作品が旧真木邸内に設置されました。展示作品の写真です。<br>
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上から、<br>
旧真木邸の入り口<br>
福永信の手作り本<br>
ふるかはひでたかの作品<br>
真部剛一の作品<br>
中屋敷智生の作品<br>
得丸成人の作品<br>
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日付をほどいて〜もう一つの笠島日記
展示物として制作するのは、滞在中に書いた日記を再構成した手づくり本である。15日間の滞在中、福永は日記を書き、瀬戸内アートウェーブのホームページ内に随時、掲載してきた。その日記には、福永が笠島で出会った人たちとのこと、そのとき彼が聞き取ったセリフがそのまま(むろん、彼の記憶を通して)、書きとめられた。
滞在中の出会いのきっかけとして(呼びかけるきっかけのようなものとして)、ひらがなをひとつ、落書き帳の紙の上にかいてもらう、ということをしてきた。その理由をたずねられ、そこから話がはずむ。あるいは、かならずしも言葉でなくても、 笑ったり、困惑したり、島の人たちの豊かな表情に、ひらがなを集めることで、接することができた。福永(だけではなく、SAWのメンバーも協力し)が集めた、ひらがなのひとつひとつは、そういった「出会い」の痕跡である。名前も添えられたそのひらがなひと文字を見ていると、そこから、島に生きてきたその人そのもの、その人の歴史といったものが伝わってくるように思える。むろん、ひらがなひと文字だし、そこに意味は(ほとんど)読み取れないのだけれども、 ひと文字ひと文字、異なるその筆跡からは、言葉でない「言葉」、表情でない「表情」が、見ている者のこころのなかに浮かび上がってくる。文字だけを見た人であっても、ひとりひとりのなかで異なる、言葉や表情が浮かび上がるだろう。そんなもうひとつの「出会い」の場として、展示物としての手づくり本は制作された。 15日分の日記を1日分に再構成し、たくさんの人たちと出会ったゆたかな日々をたった1日の出来事として語りなおす。そのことで、ふだんはしずかな、笠島が(まるでおまつりみたいな?)にぎやかさをもつように演出するのである。時間芸術ともいわれる、文学(日記文学?)の手法を使って、架空の1日の物語を作り出す。それは、かつてはにぎやかだったろう笠島への、福永の滞在中に感じた思いのあらわれであり、島の人たちから、昔はここにいろんな店があった、昔はみこしも出てたのしかった、若い者もたくさんいてにぎやかだったという、彼に語った(そして日記にも書きとめられている)記憶の反映でもある。制作される手づくり本は、そのひと文字のひらがなを集める際に使用した落書き帳を再現し、ひと文字1ページで、上述の「1日」を語っていくという体裁である。おおむね、明朝体で墨一色の活字が使用されるが、ところどころ、島の人たちに書いていただいた直筆のひと文字のひらがなが挟み込まれる。その手書きの文字を利用したかたちで、「1日」が語られる。福永の日記であり、そこで書かれるのは、彼の単一の視点であり、彼の記憶にすぎないが、手づくり本のなかに島の人たちの書いてくれた文字が入り込むことによって、本のページのなかに、島の人たちの声や表情が、言葉を通してではなく、文字のかたちや筆触などからじかに、感じ取ることができるはずである。ほとんどが明朝体の活字で埋められるが、それをめくるあいだに、不意に、直筆の文字が現われ、次のページへとめくると消えることで、出会いそのもののかけがえのなさの、紙の上での再現になっている。笠島の歴史からみれば、吹けばとぶようなものかもしれない15日間の記録だが、もしかしたら、島の人たちが書いてくれたひらがなのひとつひとつが、完全にはそれが吹き飛ばずに、どこかに、つなぎとめてくれるかもしれない。 B5サイズ、全9巻(各巻200ページ)
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MARUGAME
まず、本島に行って感じた率直な感想から入ります。
たったの二日間ではありましたが、毎日の仕事と山の中で絵ばっかり描いているという退屈な日常から解き放たれ、まさに楽園に行って来ましたと実感でき る素敵な二日間でした。
そもそも、あんなに小さな島に上陸したこと自体が初めてだったので、ものすごく気分が高揚しました。
大阪や京都の都心?に住んでいると「海」を感じたり、船に乗るだけでも気分が浮かれるんですけどね(笑)
そうそう、僕の中屋敷家のルーツは四国の愛媛県なんですが、父親の家は父親が成人になる程前で大阪に移り住み、四国の親戚はというと祖父のお葬式の時 に大阪で会ったぐらいで、僕自身はアルテに行くまで四国の地に足を踏み入れることが全く無かったんです。
初めて四国の大地に足を踏み入れた時は、ここが中屋敷家の記憶の宿る島 四国なのかと、その時も気分が高揚した事を覚えています。
同じ日本でも本州か、四国かというだけで、幾分も意識の仕方が違いますからね。
やはり、これも海を隔てて渡らないとたどり着くことのできないという島の魅力なんですかね。
そういう意味でも僕自身SAWに参加できたことを嬉しく思うと同時に誇りに思います。
話は脱線しましたが、本島という島にたどり着いてまず、僕がまざまざと意識させられたのが「時間」でした。
それは、大阪でも京都でもない、本島ならではのゆるりとしながらも、この島の歴史、文化を感じざずにはいられない生きた時間でした。
本来は、島でなくてもその土地その土地によって歴史、文化を感じさせるような時間が色濃く流れているはずなのでしょうが、最近は京都ですら文明という 荒波によって、その土地に流れる匂いを打ち消されているような気がします。
それに引き換え、本島は最近では珍しいくらいに歴史、文化が生きている土地だなと高島さんの話を聞いて感じました。
やはり、こういう歴史、文化を生に残していく場所というのもこれからの時代は特に重要だし、また残していかないといけないと考えさせられます。
そんな中で、僕の作品がホワイトキューブのギャラリーを打ち破り、真木邸のような古い建物と融合することによって、どのような見え方がするのかが今から楽しみです。
今回本島の笠島にて梅谷さん達と二日間を共に過ごし、また高島さんの話を聞き、そして真木邸の現地調査をおこなった実感として、今回丸亀の空という絵 画作品を選択したことは本当に良かったと感じています。
しかし、この空の作品は僕のライフワークにするつもりなので、次回本島 から見た空も制作したいと考えています。
ただ、僕の筆が遅いのがネックですが、、(笑)。
そもそも時間というのは、人間が作った概念であって、空にとっては過去や現在、未来も関係ないことなのでしょうが、僕たち人間にとっては大切な概念です。
この僕の描く丸亀の空も、人間が時間という概念を意識する以前からそこに在ったわけで、人間の感覚から言うと本島の歴史をずっと見てきた生き証人だと 思います。
しかし、この空も見る人によっては、ただの空と言えばそれだけのことでしょうが、丸亀に住んでいる人、住んでいない人にとっても何かを考えるきっかけ になればと思います。
僕的には、本島に住むアートを知らない人たちにも受け入れやすい作品じゃないかとは思うのですが、どうなることやら不安でもあり、楽しみでもあります。
(中屋敷智生)
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≪ 記憶のカケラ 〜 本島 ≫
本島の浜辺を歩いていた。五月晴れに潮風が心地よい。
波打ち際で、貝などに混じって波に洗われる陶片を見た。砂に呉須の青が映えて美しい。幾つかそんな陶片を手にとって、浜に並べて見ていると、想像は勝手に巡りはじめる。
これらは島で使われた器か、それとも流れ着いた陶片だろうか…。恐らく、もともと異なる時代に別々の土地で作られたものだろう。そして様々な人の暮らしの中で、それぞれに物や思いを収めてきた器であったに違いない。
なんだか眺めるうちに、暮らしであるとか歴史といった、島を内から外から形作ってきた営みの、「記憶のカケラ」たちが浜に寄せ、ぐるりと島の輪郭を描いているような…そんな幻想にとらわれてくる。
突然、この陶片たちを呼び継いで、新たな器を作ったらどうだろう…なんて思いつきが頭をよぎった。
職人が土から作った器が、幾多の手を経て砕けたのち、今また島の浜で土に帰ろうとしている。そんな、過去の営みの痕跡を、新たな器として再生させるのだ。これは忘却過程にある記憶を編み直して、新たな歴史を作ることに近い。きっと出来た器は、島の姿を反映するものとなるだろう。
七月、プランを胸に再び本島を訪れた。浜を歩いて3kgにも及ぶ陶片を拾い集めた。それらを持ち帰った僕は、まるでパズルでも解くかのように器を拵えた。そうして出来た器には、そのまま島の名をつけた。
陶磁器に詳しい方に尋ねたところ、器の陶片には、明治期の印判染付や、江戸中期の伊万里などが見られるという。カケラたちはどんな記憶を語ってくれているのか。器は小さな空間を抱え、そこに収めるべき想像を待つようだ。
展覧会では、旧真木邸の床の間に器を据えた。隣りには、拾い集めた陶片の残り全てを用いて、本島の形を模った。もしも、展覧会を訪れた人のうち幾らかでも、島の経てきた年月や、そこに暮らした人々の面影を、この作品に夢見て頂くことができたならば、それに優る幸せはない。
( ふるかはひでたか )
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10月19日(木)
『 塩飽の記憶 ― 危機に立つ技と心』
かつての水軍の島も、近年よせる荒波は凌ぎ難いか――。フェリーから臨む塩飽諸島・本島の表玄関は昨今の災禍に痛く傷つけられている。リゾートホテルの跡地には、場違いな椰子の樹が不自然に並び、若木の間に痛々しく覗く山肌は、数年前の山火事の爪跡だ…。
フェリー乗り場から、海岸沿いに2kmほど東へ廻ったところに、古い街並みを残す笠島地区はある。自治会長で「まち並み保存センター」の館長でもある高島さんに、お話を伺った。
塩飽は織豊時代より江戸幕府まで、伝統的に朱印を受け継いだ水軍の島だった。海運業や造船業で大いに栄え、秀吉朝鮮出兵時の航海士や、幕末の戒臨丸の漕ぎ手等も多くこの島々より排出されているのだそうだ。江戸幕府による封建体制下でも、何処の藩にも属さず、人名(にんみょう)と呼ばれる名主の協同自治が敷かれていた事実だけ見ても、その独自性は推し量ることができる。
その塩飽の首都ともいえるのが、ここ笠島地区だ。水軍の中枢港は昭和初期に埋め立てられ、また往時の城郭も既に失われてしまったものの、古い家並みが多く残る街区は現在、国から「重要伝統的建造物群保存地区」の指定を受けている。
高嶋さんの語り口は穏かだ。塩飽の歴史や文化を丁寧に語ってくれる。それでも、一夜にして持ち船すべてを沈めた丸尾五左衛門の話や、樽を流して漁場界を決めた塩飽騒動の話など、尾鰭のついていそうな話には、必ず「御伽噺」だと断りを入れる。
若い頃には島を離れて岡山に暮らしていたのだという。20年ほど前、島が忘れられず戻ってきたのだとか。塩飽の民としての誇りは、高島さんの中で、島を離れて尚、歳を重ねるごとに、いっそう増して行ったに違いない。一般的な歴史愛好家が好みがちなロマンティシズムに、いっさい流されることがないのは、ありのままの島を愛し、誇りに思う証しだろう。
塩飽大工の技術は、そのルーツを堅牢な造船技術に裏打ちされたものだとも、教えてくれる高嶋さん、実は昔ながらの技術を保持する大工でもある。保存館の語りべとしての傍ら、保存地区の建物の修復保存にも活躍している。
「あした私の所にいらっしゃい」と仰るので、翌朝たずねてみた。高嶋さんは仕事着で出迎えてくれた。町屋の外壁に使用する焼き板作りを、実演してくれるという。三枚の板をわら縄で煙突状に組み、火をつけた鉋屑の上にかざすと、ちょっとした隙間からの上昇気流で一気に内側を焼き上げた。さすがに手際が良い。あっという間に3枚の焼き板が出来上がった。そして辺りの建物を指差しながら、そのまま使うとこんな壁に、磨いてから使うとあんな壁になると教えてくれる。塩飽大工の誇りと自負が、自然と表情に輝きをあたえている。
そんな高島さんだが、保存地区を守る上での葛藤もある。
役所は歴史的建造物の保存というが、旧来の方法で直そうとすると、そんなに高額な修復費は出せないという。旧来の方法は現代の工法に較べ、工期や手間を各段に多く割かねばならず、当然、コストも割高についてしまうのだ。そんなとき、役人は決まって「もうちょっと、現代的な方法にしましょう」と提案してくるのだそうだ。
そもそも本物を残してこその保存地区のはず。予算や効率を理由に理念を曲げれば、高邁な理想も絵に描いた餅と化す。技術や中身を置き去りにして、景観のみを保存するのでは、街はすぐに映画セットのような脱殻となってしまうだろう。そればかりか、そんな仕事を「本物の」塩飽大工に強いるのは余りにも酷である。
「各地で観光地化している看板だらけの保存地区のようにはしたくない」。保存地区指定によって、「保存」を義務づけられた上、真の保存を拒まれるという状況に、高島さんは困惑している。
「島じゃ、私も若い方」と笑う高嶋さんも、既に75歳。信頼していた建築士も既に他界してしまったとか。技術が廃れれば「保存」も侭ならぬ。一旦、失われてしまったものは、新たに作り出すことは難しい。塩飽の豊かな歴史と技術は高島さんの誇りである。そんな掛け替えのない「塩飽の誇り」を、彼らの世代で風化させてしまうのは、余りに惜しい。
果たして僕らの世代は、この素晴らしい島の技と心を、次世代へ繋げていけるだろうか。
(ふるかはひでたか)
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本島小学校・中学生とのアーティスト・インスクールについて
静寂な島で過ごすと鳥の声、波の音、風の通る音など、普段雑踏の街中では、意識されない日常の音を耳に聞き、記憶に残った。そこで、ふたつの学校で《音を写真に撮る》というワークショップを行った。島の子供たちはどんな音が聞こえているのか、耳で感じているものを視覚的に捉えてもらうことで、島での暮らしの音を捉えようとした。
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10月17日(火)
アーティスト・イン・レジデンス、アーティスト・イン・スクールが終了し、2週間もの間滞在しながら、島のみなさんとの交流を通して文字を介して作品を創作していた福永くんも去り、あらたなステージへ向けてアーティスト達が集合した。11月23日から約一ヶ月の長きに渡って催されるエキシビションへ向けての準備も兼ねた滞在。いろんな人の熱い想いが、悠久なる歴史を育んだ島の大地に暖かく大きな成果となって結実することを願って止まない。往々にして、報告される滞在記は他の人のレポートに一任するとして…。
島の住人の窓口、いや、世話役?でもなく、それ以上にいろいろと無理難題に対処して頂いている高島さんを招いて、ささやかながら晩餐を催す。感謝の念と、無事の成功を祈って。(田口賢一)
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10月16日(月)
昨日15日からふるかはさん、中屋敷さん、田口さん、真部さん、得丸さんと本島に滞在し、展覧会などについて打ち合わせをしました。
田口さん、ふるかは君と、いずれも料理の達人です。昨日・今日と見事な手さばきで料理の腕をふるってくれました。
高島自治会長を招いて展覧会についての相談。高島さんが、明日焼板を実演しようと約束してくださって、翌日見せていただきました。取材もしました。
板を3枚、縄で三角形にしばり、木屑を種火にして、その上をしばった板で煙突状におおうと、たちまち黒煙が立ち、一気に炎が燃え上がります。おおーと一同うなり・・しばし唖然と眺めていました。時々均一に焼けるように手馴れたしぐさで、縄の間に鎌を差し入れ空気を送り込んでいました。その手さばきに塩飽大工の矜持を垣間見た思いがしました。一気に焼板になり、水をかけて冷まします。板目に見事な焼け模様、実に美しかったです。
高島さんから展覧会までに真木邸裏庭の雑草とりの宿題をおおせつかりました。では今からやりますね。ということで男4人と私で雑草とり、そのうちにやはりアーティストどもは、雑草を適宜刈り残し、石を運んできて、アート作品をつくりはじめました。コーディネーターとして梅谷は、高島さんに一生懸命説明し、雑草を刈り残している言い訳をしていましたが、高島さんは、ニコニコして「いいよ、あんたらの好きなようにやったらええが」と言ってくださいました。セオさんは「今作ったお茶を冷やしているからね」といって氷を浮かべた麦茶を運んできてくださいました。
真木邸にふるかは君、中屋敷君の新作をどう設置しようかと相談しました。10月後半から随時作品の設置をはじめ、最後に福永さんの作品がはいったところで、展示完了、展覧会をはじめてはどうかと話し合いました。(梅谷)
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10月3日(火) 西本さんに魚をもらう
魚をもらい、料理も教えていただきつつ、若い頃のこと、3人の息子の話、沈没した船をドラム缶を差し込んで引きあげたときの話、祭りのお囃子を歌いながら、昔のかさしまの賑やかな話、なにくそとおもいながら金がないのに、船を買い、家を建てた話、みぶりを交え、大いに笑わせてくれ、やがてせつなき忘れられない一夜となりました。(梅谷)
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9月20日(木)
「アーティスト・イン・笠島」では、活動の様子をこのWEBページにて報告していきます。アーティスト滞在中の出来事や、イベントの状況など、島の様子をレポートしていきます。
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